ぼえーって吐く②

私が音楽をする理由、それはライフワーク。

それ以上でもそれ以下でもない。

でも、本当にそうなのか。たまにわからなくなる。

 

先の人生を思い、ライフワーク探しに躍起となっていた20代。

小説、ゲーム、漫画、ダンス、山登り、色々やった。

どれもそれなりに楽しめたし、遣り甲斐も感じた。

しかし、大抵が半年~1年で頓挫してしまう。ようは飽きる。

 

そんな中、自分の人生を省みて、自分が本心から好きなものは音楽(特に歌うこと)であると見出した。そもそも、好き嫌いではなく音楽は日常だった。

 

親の影響もあって、幼少時より、自然と歌を口ずさみ、誰に強制されるでもなく、歌の練習をしてきた。社会に出てからはストレス発散のため一人カラオケにのめり込み、最長で10時間ぶっ通しで歌ったこともある。(さすがに最後の方はうめき声すらでなかったけれど。。。)

それぐらい音楽は僕の日常に満ち満ちていた。

 

決定的だったのが、当時はやっていたニコニコ動画の生放送である。

とある名も無き歌い手の名も無き弾き語り配信で心打たれ、涙した。

以来、自分も弾き語りで人の琴線を揺り動かしてみたい、そうしてギターを手にしたのだった。

 

他の媒体とは打って変わって、音楽での自己表現は有意義であった。

やりたいこと・出したい音・伝えたいことが自然体で溢れ出てくる。

やはり音楽は天性のもの、そう確信した。

 

いつかの歌い手と同じく、ニコ生配信を皮切りに細々と音楽活動を開始し、

ステージを現実世界に移行、以来、6年間、歌い続け、今に至る。

 

決して順風満帆ではない。

ライブ後には、敗北感・虚無感に苛まれ、打ちのめされる。

自身の不甲斐なさや共演者への妬み・嫉みから、恥ずかしながら、涙する夜もある。

それでも辞められないし、やめるつもりもない。

ようやく見つけたたった一つのものだから。

自分には音楽しかないのだから。

 

話を冒頭に戻そう。

 

「音楽はライフワークであり、それ以上でもそれ以下でもない」。

これを口癖にしてきた。

元々、仕事というものが好きではない。

仕事はあくまでも生活の糧であり、心の充実を求めるものではないと考えている。

仕事だけの人生ならば死んだ方がましだ。辛いだけの人生に何の価値があるのか。

だから、ライフワークに人生を見出した。

 

もう一つ、自分が常日頃より口にする言葉がある。

 

「プロになりたいとも、ましてなれるとも考えていない」。

 

”プロ”とは対価を得ることであり、”仕事”なのだ。

自分の主義に合致しない。

だから、自分はプロ志向ではない。

 

しかし、たまにわからなくなるのだ。

これら口癖は意識しているからこそ出る言葉ではないのか。

戒めの言葉ではないのか。

裏腹の表現ではないのか、と。

 

また、先述した共演者に対する執心は、承認欲求の表れであり、

結局は、音楽がやりたいのではなく、音楽を通じて他者に受け入れられたい、それだけではないのか。

 

これらの考えがよぎり、己がアイデンティティの喪失危機に、心がかきみだれる。

 

変化を拒むつもりはない。

ただ、自分が最も大切とする”核”の揺らぎには、耐えられない。

 

長々と悍ましい自分語りをさせてもらったが、

答えは見つかっていない。

これからもきっともがき続けるのであろう。

 

今回このリリシズム100%の公開オナニーをさせてもらったのは、

ひとえにアウトプットでしか考えを整理できない性分ゆえです。

たまにぼえーーーと吐き出さないと、ぱんぱんになってしまうのです。

誰に向けたものではありません。

あしからず。

 

以上。

そんな稀有な存在はいないでしょうが、

最後までお付き合いいただいた皆様へ、

長文・乱文・駄文につき御免。